「入院しよう。治ってから再就職すればいいや」
これが私のくだした決断でした。
入院期間が不透明で入退院を繰り返しながらは迷惑をかけるだけ。
同級生たちがリクルートスーツで新しい道に歩んでいく中
就職を断念し、みんなと違う道に進んでいきました。
「安定したら再度就職しよう!」
と軽く考えていましたが、
再起まで長い道のりになるとは知る由もなく……。
間に合え、腎移植!迫るタイムリミット
4月の入院で両親が呼び出されました。
「ステージ4です」
医師から聞かされました。
緩やかに病状が悪化していたのは把握していましたが
たった数年で悪化が早まり驚きと焦りが生まれました。
「やばい、どうすればいいんだ?死ぬんか?」
「今後はどうなるんだ?」
冗談抜きで死がよぎり本当に頭が真っ白になりましたよ(笑)
「腎臓は治らない臓器なのでこのままだと腎不全に陥ります。
腎不全になったら透析療法が必要になります。」
と医師は続けます。
透析療法とは簡単に言うと
人工腎臓を通して血液をろ過し体内に戻す治療法です。
血液から行う方法と腹膜から行う2種類の方法があり、
透析をしない場合腎不全患者は7日しか生きられません。
それなので体内に溜まっている水の除水と
体内の毒素を除去する治療が1日おきに必要なのです。
そして両親が
「透析を避ける方法はありますか!?」
と医師に尋ねると
「透析をせず移植をする先行的腎移植だと生命予後もいいですよ」
と医師が答えました。
助かる方法があると聞いて両親から幸いにも
『腎移植を受けないか?』
と救いの手が差し伸べられました。。。。
「親の体を傷つけるなんてことをしてはいけない……!」
という抵抗はありましたが私も覚悟を決めて
「やれることならなんだってやってやる!!!!」
と腎臓が停止する前に移植をするという
先行的腎移植を目指すことにしました。
でもここからは大変なことばかり!!
健常者の食生活とは違う「塩分制限」「たんぱく制限」は絶対厳守。
移植の検査のために退院してからは
ほぼ毎週のように病院と薬局を往復する日が続きました。
それに伴ってまたお金が減っていくという
高校の時に味わった悪夢が再来!(笑)
徹底して食事のときのルールは守ったし、
ポケモンGOのおかげて体重も20kg近く落としたし
早寝早起きという健康的な生活も送っていましたが
頑張りもむなしく結局末期腎不全まで進行してしまいました。
「透析か~~これからどうなっちゃうんだろう?」
と不安になっていたところ更なる悲劇が起こります。
唯一のドナー候補の父に病気が見つかり腎移植という選択肢が消滅。
人工透析を受けるしか生きる術はありませんでした。
人工透析という延命措置でのダメージ
とうとう私の腎機能も停止に近づき、
人工透析をせざるを得なくなりました。
私の場合はもう腹膜は不可能だったので血液での透析となりました。
そしてシャントという特殊な血管を増設する手術で今年3度目の入院。
筋肉注射も術後もしばらく痛みはありましたが何とか手術が終了、
本格的に1日5時間の透析治療の生活が始まることになりました。
最初こそは
「透析なんて何ともないわ!障がい者でも通用するのを証明しよう!」
と意気込んでいました。
……が、徐々に異変が現れました。
治療終わってから翌日までめっちゃ頭痛いし
コミュニケーションも思ったようにできない……!
体中がかゆいし呼吸もおかしいし声も出しにくい……!
治療のダメージは相当デカく、身体に負担がかかっていたのです。
(※症状には個人差アリ)
元の状態に戻るまで最悪5日間かかることもありました。
こんなんじゃあ再起どころか普通の生活だって送れない……!!
家族に捨てられなかっただけマシでしたが
これが一生続くのか……とさすがの私でも堪えました。
あっさり奪われた日常。20代で悟った事実
良くも悪くも大きな困難もなく大学まで進んだ私は
持病の悪化によってはじめて気づいたことがありました。
「人生に安定なんかないんだ」
「“普通”ってすごくありがたいことだったんだ」
ということ。
病気と一生向きあっていく必要があるということは
生活も働き方も”普通”のこととは全く違うものになります。
私のように末期腎不全まで進行してしまったら
好きなものを好きなだけ好きな時に食べられる
普通の人の食生活のようにはいかないし
ネット環境が無い病院のベッドの上では
5時間の間動けないし片腕でできることも限られます。
さらに毎月医療費だってかかってきます。
時間の余裕、お金の余裕、心の余裕。
人のシアワセを左右する3要素をあっさり奪われるのです。
治療生活が始まってその事実に気付いた
間もなく失ったものばかりを数えるようになってました。
「あれもできない、これもできない」
「みんなはできるのにどうして自分はダメなの?」
「普通に過ごしている普通の人が憎い……!!!」
ただただふらふらと病院と自宅を彷徨う
生ける屍のようになっていったのです。
あたりまえのように朝目覚められて、
あたりまえのように好きなものを食べられて
あたりまえのように呼吸ができて
あたりまえのように言葉を話せて
あたりまえのように水を飲めて
あたりまえのように音を聞くことができて
あたりまえのようににおいを感じて
あたりまえのように自分の足で旅ができて
あたりまえのように仕事ができて
あたりまえのように大切な人と過ごせて
あたりまえのように夜眠ることができる……。
これってすごい奇跡なんです。
入院の中で見つけた再起への道
ある日の入院中の治療の日のこと。
治療を終えてテレビ、棚、ベッドしかない
殺風景な病室に戻ってきた時ふと将来のことを考えました。
「このままでお世話になったみんなに恩返しできるのか?」
「もし親が病気になったら助けられない?」
「そもそも就職が厳しいのに生きていけるの?」
と……。
本当に人生初の危機感を感じて焦燥にかられていました。
そして、スマホでTwitterを見ていた時でした。
「旅先でパソコン1つで月収100万円」
というようなユーザーを見ました。
あー、また怪しい人やん。
今までの私ならこう言ってシャットアウトしていたことでしょう。
でも状況が状況でお金は今死活問題なので
本当なのかどうか食いつくように調べていきました。
『もし万が一詐欺じゃないなら……?』
『PCだけで100万円稼げるなら……?』
入院中は時の流れがゆっくりなので四六時中調べていました。
すると、こうやってPCだけで稼いでます!と
言っている人たちには共通点が見つかりました。
・自動収益の仕組みを作る
・ネットを活用してビジネスをする
という2つが最低条件だろうということ。
「ネットビジネスって詐欺?本当に稼げるのか?」
「いくらなんでも怪しすぎるだろ…」
と思いながらも、20年の人生で最大の危機。
もう手段は考えていられませんでした。
「ここでお金だけでもなんとかしないと人生終わる!!」
と、知識0、経験0、もちろん人脈0
という無謀な状態でこの世界に飛び込みました。