日記

【ママにあいたい】ネタバレ考察!絶句・怒涛・衝撃シーン3選の意味は?

こんにちは、ママが大好きな豆乳モカです。

もうママが大好きすぎて
しょーもないくらいマザコンです←え?

 

 

先日、仕事の最中に衝撃的なゲーム作品に偶然出会った記事を書きました。

「ママにあいたい」という作品です。

 

※まだストーリーの全貌を読んでない方はこちらからご確認ください

 

【ママにあいたい】ネタバレ感想!うねうね入手後のママの運命は?先日、仕事の合間にYouTubeを視聴してたら 1つのゲーム実況が私の目に留まりました。 タイトルは 『ママにあいたい』 ...

 

後になって調べてみたら
『第14回ふりーむゲームコンテスト金賞受賞』
に選ばれているそう。(そりゃあ当然よね……)

こんな世界観は問題作だ!
この作品は人を選びますね
お金を払ってもいいレベルです!
作品の宣伝として実況させていただきました
これで初めての作品……惹き込まれます

と様々な賛否両論なコメントが寄せられている作品で、
老若男女様々な人がプレイし、ゲーム実況も数多く上がっていることから
多くの人の心を動かした、思考を巡らせた作品ともいえるでしょう。

 

ストーリーの大まかな難枯れは以前の記事で書いてあるので割愛しますが
1回目で自分の頭の中で処理しきれなかった疑問点が3つありました。

 

・なぜ主人公と双子の兄以外は赤い目だったのか
・うねうねがなぜキーアイテムになっているのか
・出産のときに会えてるはずなのになぜ「やっと会えたのに」なのか

 

という3つですね。

 

 

後日複数回視聴して自分なりにこうじゃないか
と感じたものを考察としてつづっていきます。

 

そして複数回視聴して改めてこの作品から感じ取ったテーマは

【過酷な現実から逃げるな】

ということです。

これについてもお話ししようかと!

ネタバレを含みます。ネタバレが嫌な方は本編か私の記事を見てからご覧ください。

 

【ママにあいたい】ネタバレありの考察!

 

なぜ主人公と双子の兄以外は赤い目だったのか

その前にこの世界の色についてちょっと見てみましょう。

 

この作品で使われた色というのは

・白
・黒
・灰
・赤

この4色だけです。

 

体内なので赤というのは臓器や血液
といったものを考えると妥当な配色ですが
それ以外は基本黒と白と灰色だけなのです。

実はまだここの子どもたちは受精卵の存在であり、
魂だけの存在であるということも明かされているため
意図的に生を感じさせないような配色にしているのだなと感じました。

 

 

赤以外で使う色をこの3色に限定しているということは

「母の体内がもういつ壊れてもおかしくない状態」
「この子たちの命が保証されているわけではない」
「いつ何が起きてもおかしくはない最悪な状況」

というのを表しているんだなと。

命に関するゲームだというのをダイレクトに伝えてくるので
4色に限定することで生死に関する重みをリアルに引き出しているのです。

 

多くのゲームでは「敵を倒す」ことに焦点を置いているので
昔のゲームとは違って今ではたくさんの色が使われているし

どうしても、倒して、命を削ることが正解みたいな感じになってしまうので
命の重みもへったくれもないけれど、このゲームは違ったのです。

 

たった4色でここまで世界観が尖るものなんだなと、
これこそが多くの人をいい意味でも悪い意味でも
魅了した要因なんだなと感じました。

 

そして主人公たちの兄弟の目が皆赤い理由。

それは彼らに共通する既に亡くなってしまった存在
ということを表していたのですね。

 

うねうねがなぜキーアイテムになっているのか

このゲームでもいくつか物語を進めるうえでの
カギとなるアイテムが出てきました。

 

その中でも最も重要と言っていいのがこの「うねうね」

説明文を見る限り、陰毛ととらえることができます。

 

じつはこのうねうねのの存在だけがどうしても自己解決できず
実況を見終わって何度もいろんな人のブログをお邪魔していました(笑)

 

 

ママにあいたいという作品の感想っや考察を書いている
数々のブログでもこれについての意見が割れたりしてますが、

このうねうねは

【4番目が意図的に残していったもの】

だと私は考えます。

 

 

バッドエンドの1つでは5番目の兄が4番目に乗っ取られて
主人公を死に追いやる(ゲームオーバー)という話があります。

4番目が乗りうつっている状態では吹き出しが若干
おどろおどろしいものになり、5番目にその症状が出ていたからです。

この場面で4番目は他人に乗り移ることができることが示唆されていました。

 

そして、トゥルーエンドにて主人公が
母親を刃物で刺すという悲劇が起きます。

 

この時の主人公の目の色が赤くなっていたんですね。

 

 

【赤い目】というのは前述の通り既に亡くなっている
1,2,3,4人の兄弟の目に共通しているものでした。

 

このことから、ママにあいに行く際に主人公にわざと持たせて
陰毛として目立たないところで催眠にかけるかのように
主人公の意識を残しつつ徐々に乗り移っていったのでしょう。。。。

ママにあったときに自分自身の、
そして兄弟たちの無念と恨みをいつでも晴らせるように。。。

 

 

それなのでこのうねうねがキーアイテムになっていた理由としては

・出産の際に邪魔になることがないアイテムだった
・主人公は捨てずに所持することが可能なものだったから
・4番目の意思が乗り移りやすいものだった

ことからこのいうねうねがキーアイテムになっていたのだと感じました。

 

 

 

出産のときに会えてるはずなのになぜ「やっと会えたのに」なのか

ママは本当の最後の最後に

「最後の双子だけはしっかりと育てる!!」

と作中で口にしています。

この双子というのが主人公と双子の兄のことですね。

 

しかし、彼女の体は数々の出産や暴行でボロボロになってしまっており
医師には「どちらかは助からない」と告げられてしまいました。

双子の兄は命を落としてしまいそれが現実になってしまいますが、
それでも主人公の生太は念願のママのもとにたどり着けました。

 

でも、めでたしめでたし。。。とはいきませんでした。

 

【うねうね】によって、4番目の意識が生太に乗り移っているからです。

 

4番目の意識が生太の意識を乗っ取って
4番目の意思でママを刺してしまうのです。。。

 

で、ここからなんですが、私が最も引っかかったのが、

 

 

ママが主人公である生太に言った言葉。

 

 

 

【やっと会えたのに。。。生太】

という言葉を、もう成長して高校生~大学生くらいの
青年となった生太に向けて言ったのです。

 

 

生んだ時にあっているよね?
赤ん坊の状態であっていない?
何で成長してからが初対面なんだ?

 

この時の私は混乱しました。

成長してからじゃないと逢えない何らかの理由があると考えました。

 

考えられる理由としてはいくつかあります。

 

①生太が養子に出された説

結局金銭的に育てるのが不可能でそのまま生太は養子出された。

その後本当の母親の存在を知り、
ママにあいに行ったところで意識が途絶え、
4番目に乗っ取られて殺人まがいのことをした

 

 

②別離され、その間に関心が薄れた説

ようやくわが子と対面するもお互いの容態がよくなくて即離れ離れに。

ずっと合わせてもらえず、ようやくお互いが回復したころには
ママは生太に対しての関心が薄れそのまま生太は孤児になってしまった。

何らかのきっかけで母親の存在を知り①と同様な結末となった。

 

 

③過去の行動が明るみになった説

彼を生んでから過去の行動(殺人)が明るみになってしまい
ママは数十年間の刑務所暮らしをしていた。

出所してから家族が預かっていた生太と暮らせることになって再開するが……(以下省略)

 

 

④家族に引き離された説

生太が無事に生まれはしたがママの家族(義一家)に

「この人と一緒にいると危険だ!」

とみなされて引き離されてしまった。

成長してようやく会えるようになったものの……(以下省略)

 

 

⑤親権が移っていた説

彼を生んでから過去の行動(殺人)が明るみになり
ママは数十年間の刑務所暮らしをしていた。

その間に親権が夫に移っていてしばらくは夫のもとで暮らしていたが、
どうしても自分の母親のことが気になった生太が家を飛び出し、
母親の居場所を突き止め、再開した途端に……(以下省略)

 

 

という感じです。

 

いずれも憶測でしかありませんが、
このようなことが起きていたのではないでしょうか。

 

じゃないと「やっと会えた」っていう表現はしっくりこないからです。

 

そしてトゥルーエンドを迎えての視点も気になるところ。

 

ママが生太に刺されるシーンはママの視点でカメラが動いていきます。

ママが刺された後は強制的にゲームがが落ちて
ゲーム再開のためにはは再起動をしないといけないといけないため

ママが意識を失った or 意識がそのまま戻らず帰らぬ人となってしまった。。。

 

というような解釈もできるのです。

 

 

一通り疑問に思っていたことをほかの方の意見と合わせながら書いてみましたが
やっぱりこのゲームとんでもないゲームでしたわ……。

 

過酷な現実から逃げると破滅へ向かう。正しい現実との向き合い方とは

この作品から感じ取ったテーマは
前述のとおり、

「過酷な現実から逃げるな」

ということです。

 

どうしてこんなテーマにたどり着いたかというと
子どもたちのママである「生子」ママの悲劇から
すべてが始まったからです。

 

たしかに、今までママが子供たちにしてきた残酷なシーンだけを見れば

「この人でなし!!」
「人殺し!!」
「最低な母親!!」

そう思われるのも無理はありません。

 

でもよくよく考えると、彼女自身も被害者なんですよね。。。

 

 

1番目にしても学生のうちに望まない
妊娠をしたことになるし、

2番目、3番目、4番目の時も
ほとんど同じ状況で回避できていないんです。

 

合意でもなんでもない性交自体
心身共に相当なダメージであることは
言うまでもないと思う。

そしてその上望まない妊娠なのだから、
精神の一つや二つ狂ってしまって当然だと私は思うんです。

 

だから、生まれくる子に対して彼らへの怒りや憎悪が
ダイレクトに届くことになってしまい最悪の結果になった。。。

ということです。

 

 

でも絶対回避する方法はあったはず。

 

彼女にとって最善の選択だったことは
確固たる意志をもって性交をしなかったことですが、

ここまで来てしまっても信頼できる人に相談して、
中絶して子どもたちを供養して彼とその家族親族との縁を切る。

これくらいだってできたはずなんです。

 

 

おそらく誰にも相談できないくらい思いつめていたということ、
家族が頼れる存在ではなかった可能性というのもありますが、

ここで自分の身に起きる過酷な現実に向き合って対処すれば
兄弟全員に起こる悲劇は起こらなかったのではないか?
というように考えてしまいました。

 

ママは過酷な現実に向き合うことができなかったため、
1番目、2番目、3番目、4番目、5番目、と5人もの命を犠牲にしてしまった、

そういう風にもとらえられるんです。

 

 

 

しかし子どもたちはしっかりと対で描かれています。

自身の身に起きた悲劇、過酷な運命に向き合って
最善の未来を選択していくことになります。

 

 

6番目なんか目覚めて両腕がないっていう状況下でも

「ママにあいたい」

という信念をもって果敢に進んでいきました。

私だったら、両腕がないってだけでパニックになって
全ての判断を誤ってしまうでしょう。

 

その6番目の過酷な運命に立ち向かう姿に感化されて
兄弟たちが6番目に協力するようになります。

 

同時に、彼らも過酷な運命に逃げずに向かっていったのです。
(1番目、2番目、3番目、4番目、5番目の勇士は、ぜひご自身の目で見てください)

 

 

子どもたちはママとは反対に

「過酷な現実から逃げない」

という姿勢を貫いたことによって
それぞれの最善の道に進んでいけました。

 

 

この「過酷な現実」に立ち向かえたかどうかで
ママと子どもたちの未来が両極端となってしまったのです。

ママは最悪の未来に、子どもたちはあの状況を考えると
恐らく最善の未来へと向かっていけたのです。

 

 

って考えると、最悪の未来に進んでしまう状況としては

「過酷な現実から逃げる」

ということで、
現状を打破できるのは

「過酷な現実から逃げない」

ただこれだけなんですね。

 

 

 

私だって、たった24年の人生ですが逃げ出したいこと、
目を背けたいことというのがたくさんありました。

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当時の私のメンタルは激弱だったので、
現実から逃げていた時や目を背けていたことももちろんありました。

 

 

でもそれじゃあ何も変わらなかった。

 

 

でもそこで目を背けたら
何も変わらなかった。

むしろ状況悪化してた。

 

それこそ、

「ママにあいたい」

の生子ママのようになってしまってました。

 

 

 

そこからママの子どもたちのように

「過酷な現実から逃げちゃだめだ!」

と意識を変えていって、再始動することができた。

 

 

過酷な現実から逃げると破滅へ向かうということや
目を背け続けてもいつまでたっても
いい方向に向かわないというのが
身をもって経験してきていたし、

私の逃げていた時期と立ち向かっていた時期が
それぞれママと子どもたちの姿勢と重なったので、
この作品から感じ取ったのが

「過酷な現実から逃げるな」

ということだったんです。

 

 

 

人は生きててどうしても逃げ出したいときは誰しもあると思います。

これを読んでるあなただって本当に苦しいこと、
逃げ出したいこと、いっぱいあるでしょう。

 

でもそこで逃げ出してしまったら一生そのままだし、
今後も悪い結果が待ち受けていることでしょう。

 

なんども折れそうな状況に立ち向かっていった私が、
この作品からも一個人からも伝えたいのが

 

「過酷な現実から逃げるな」

 

ただこれだけです。

 

そういえば私の好きな東方神起の【ANDROID】という歌にも
こんな歌詞がありますね

Let’s break it through  we can do
決して恐れず 挑む 自由 光求めて

(00:47~00:51)

 

【ANDROID】

直訳すると

それを突破しよう。私たちならできる。
決して恐れず。挑む自由、光求めて

こんなかんじ。

 

 

あなたならできます。

過酷な現実にも立ち向かっていってください。

 

でも、生子ママのように一人で思いつめたり、
一人で立ち向かわないでくださいね。

 

私と一緒に乗り越えていきましょう。

 

それでは!